今回で「200回目」の投稿記事となりました!!!
プライベートなお話ですが、おかげさまで無事に旅が終わり、本日水沢に戻ってまいりました。
長期に渡り留守を守って頂いた援助センターの皆さんありがとうございました。
おかげさまで一生の記憶に残るだろう旅が出来ました。
リフレッシュしてきた旅の様子をほんの一部だけ。
今回の一番の目的は、20年前によく「帰省の為だけ」に使っていた「青春18切符」を使って「時間を掛けて」「できるだけ遠く」に行く事。つまりバックパッカーみたいな旅をする事です。
但し、今回は広島―鹿児島は夜行バスを使いました。

ですから、構想10数年、具体的計画4か月をかけての旅程です。
行先は長年にわたり行ってみたかった「鹿児島県南鹿児島市知覧町」への訪問にしました。
歴史あるも、悲しい過去も持つ町です。
もう一つの紹介場所は、こちらも是非行って見たかった所↓
再生できない場合、ダウンロードは🎥こちら
開聞岳の左手前の黄色い一体は菜の花です。
●今回降りた駅
黒磯
浜松(泊)
相生
倉敷
尾道
呉
広島
姫路
明石
岐阜(泊)
豊橋
宇都宮(泊)
日光
福島
●その他交通手段
夜行バス(広島←往復→鹿児島)、タクシー、レンタカー
★列車乗り換え回数 43回
★移動距離 およそ4200キロ
今回で一番印象深かったのは、切なくも力強く話して頂いた知覧特攻平和会館の語り部です。
「平和というものは
水や空気みたいに当たり前に溢れ出てくるものではない。
それ相当に犠牲を払った上で保たれているんだ。」
私も含め聞いていた殆どの方が泣いていました。↓この方でした。(HPより引用)

今でなら
簡単に「お金」かけてピュンってそれぞれの目的地に行けるかもしれませんが、
20年前の自分では学生でしたし「時間」があっても「お金」がありませんでした。
今後将来「お金」は出来るかもしれないけど、公私に渡る立場を考えると「時間」も、そして今まで考え付かなかった「体力」が無くなっていく事で、制限される旅行設定にならざるを得ないと思いました。(体力面では実際姫路城で、そう思いました。)
ですから、一部の方々から「こんな旅程どうして?」って言われような設定に「敢えて」したのは、このような「時間」「お金」「体力」の「適度なバランス」が取れた旅は、僕の人生では「もうきっと『今でしか』出来ない」と思ったからです。
それだけに、大変有意義な6日間を過ごす事ができました。
そして二番目に印象深かったのは、どこに行ってもその方々がその任務に真摯に向き合っている姿でした。
夜行バス運転手の客への心遣い。
姫路城まで連れてってくれたタクシーの運転手さん。
明石の明石焼きの食べかたを叱ってくれたおばちゃん。
岐阜の宿の居酒屋の大将。
実は「秒単位」で駅の到着・出発をしていたJRの運転士・・・等。
僕も明日からの業務、しっかりと自分の任を務めたいと思います。
貴重な機会をくださった方々に厚く御礼申し上げます。
(今回は200回目の記念すべき投稿なのに、私的な内容で大変失礼致しました。)
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